論考:爆発する茶の湯 – 茶の湯は今日の芸術たるか −

芸術は爆発だ!

 

「芸術は爆発だ!」と言ったのは日本の近代芸術の有名人、岡本太郎。「芸術が爆発か?」は私は分からないけれども、岡本太郎は、芸術と芸事は相反するものと考えていた。

岡本太郎は著書「今日の芸術」の中でこう言っている。「芸術の技術は 、つねに革命的に 、永遠の創造として発展するのです 。これが芸術の本質です 。ところで 、芸ごとはどうでしょうか 。これは芸術とは正反対です 。つねに古い型を受けつぎ 、それをみがきにみがいて達するものなのです 」また、こうも言っている「芸術が過去をふり捨てて新しさに賭けてゆくのに 、芸道はあくまでも保持しようとつとめます 」。

岡本太郎が考える芸術の本質は「古い型を否定して 、新しい 、だれもが想像できなかったようなものを創りだしてゆく」ことである。逆に芸事は、古い型を守り抜くことであると考えており、芸術家の立場からすると、芸術と芸事が混同されてしまうことが多い当時の日本社会に、大きな危機感を抱いていたようである。

近代の芸術家出ある岡本太郎が理想と考えていた芸術のあり方、その絶えず革新を行う進歩体系を、400年以上前に実現していた日本の芸事がある。それが「茶の湯」である。

 

茶の湯は爆発だ!

 

「茶の湯」と言えば、型を重んじる芸事の王道と思われがちだが、過去においては必ずしもそうではなかった。「茶の湯」の歴史は、1191年に栄西禅師が抹茶を薬として宗より持ち帰ったことから始まり、まずは、禅宗の仏事として定着する。この当時の禅宗での茶事は、南宋の茶法に則り、唐物(中国製)の掛け軸や道具を部屋に飾り付け、椅子に座って茶を呈す、荘厳な会であった。

鎌倉時代、抹茶文化は禅宗から将軍家を通じ武家にも広がる。当時の文化サロンである会所では、中国から輸入された掛け軸や陶器・銅器などを、武士らしく豪快に飾り付けた寄り合い茶会が開かれるようになった。この会所の茶会は、鎌倉末期から室町中期には、当時の武家の豪放さを反映し、さらに新しい茶事へと進化する。「闘茶」や「淋汗茶湯」が流行し、賭け事を含んだ遊興・遊芸としての茶事が流行するようになる。

この時代、国内における茶葉の供給が安定化し、茶の湯文化が特権階級だけのものではなく、平民の生活の中へ広がりを見せるようになる。寺社仏閣の門前には、小銭を貰って抹茶を点てる「一服一銭」が並ぶようになり、茶道具一式を担ぎ、移動しながら抹茶を点て歩く「担い茶屋」も、この頃に現れた。

 

茶の湯のルネッサンス

 

室町中期、遊興化した茶の湯に反発するかのように、禅僧であった村田珠光が「茶禅一味」の思想の元、禅に立ち返った「侘茶」を興し、同じく禅僧であった武野紹鴎が和歌の美意識を取り入れて、侘と寂の概念を作り上げた。それまで唐物(中国製)の道具が珍重されていた茶道具の世界に、備前焼などの国産の道具が用いられはじめたのもこのころである。

千利休は珠光、紹鷗が作り上げた「わび茶」を更に推し進め、「茶の湯」に対し、より明確に「個」を投影します。利休は、自らが理想とする禅の姿を「茶の湯」で体現し、その構造を整備し、規格化を行います。利休の弟子の古田織部、その弟子の小堀遠州は、利休が作った型をそれぞれの解釈で進化させた。

侘茶の開祖である村田珠光が生まれたのが1422年、レオナルド・ダ・ヴィンチが生まれたのが1452年。規模こそ違えど、地理的にも文化体系的にも大きく隔たった地域で、同時発生的に文化の進歩が行われたことは興味深い。この頃の日本の村田珠光から小堀遠州までの美の革新の流れを、イタリアの文芸復古・ルネッサンスに准え、「茶の湯のルネッサンス期」と呼びたい。

岡本太郎が定義した芸術の本質は「古い型を否定して 、新しい 、だれもが想像できなかったようなものを創りだしてゆく」ことだが、「茶の湯」が日本に伝わり、成熟するまでの500年の歴史は、まさにこの「芸術の本質」を備えた状態だったと言える。つまり「茶の湯」は「芸術」であり「爆発していた」のである。

 

芸事としての茶の湯

 

江戸初期には大名を中心とする武家の教養としての「茶道」が定着。中期に、利休没後100年を迎えると「茶道」が爆発的な人気を博し、町人の間にも習い事としての「茶道」が広がる。「茶の湯」が今日のような形で「芸事化」したのは今から約300年前ということになる。明治維新後、茶の湯は女子教育に取り入れられ「芸事」として定着していく。

明治期、日本は早急に西洋化を進めるにあたり、文化面も西洋の枠組みに習い、再整理する必要があった。このため、本来日本の中では一つのものであった「芸術」と「芸事」が分離され、それぞれの扱いに差が生じることになった。「芸術」は発展的な文化、美として位置付けられ、「芸事」は「伝統文化」として守るべき技術体系とされてしまった。

「芸術」として、日本独自の美の力強い文脈を築いてきた茶の湯は、「芸事」として固定されたしまったのである。

 

芸術と芸事と状態変化

 

岡本太郎の考え方も、明治以降の影響を受け「芸術」と「芸事」の二元論に陥っている。しかし、この論考の中で見てきたように、茶の湯はかつて「芸術」であったが、現在は「芸事」であり、元は一つのものである。これは物質が分子の運動状況によって気体・液体・個体へと変化する「状態変化」に似ている。

かつて分子が活発に運動し「気体(芸術)」状態であったが、現在は分子の運動がなくなり「個体(芸事)」となっている。つまり、芸術が水蒸気で、芸事が氷というわけである。氷を温め、溶かすことができれば、それは液体化し、さらに熱することで水蒸気になる。「茶の湯」とは元々、そのような性質を持っている物質である。今「茶の湯」に必要なのは、氷を溶かすための熱量であり、分子を躍動させるのに適切な気圧である。300年の氷河も、暖かな場所では、大河の流れを、無限の雲を、作るのである。

 

参考 : 岡本太郎著 「今日の芸術〜時代を創造するものは誰か〜」(光文社知識の森文庫)

 

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